アイサがぐずり出した理由が判らず、ラキは心もとなげに辺りを見まわした。 ”ひみつのかいだん”を通って村の外に出てきたのだから自分たち二人の以外に他に誰かいるわけもなかった。 どうしたの、アイサ、ラキは腕の中のアイサに話しかけ、よしよしとあやしてみた。なのにアイサはついに本格的に泣き出した。 出かける時におばさんはアイサにおっぱいをあげていたし、おしっこをしたばかりでおしめも代えていた。ラキに想像できる理由はその二つだけだった。どうしたの、アイサ、どこか痛いの? もしかしたら、村でまた何かこの子にとって”恐い事”が起きているのかもしれない。しかし最近はついにワイパーをリーダーとした若い戦士達が神の社にまで踏み入り、最早交渉は無駄と判断した”神”達はもう前のように村に訪れる事はなくなっていたし、今この国に住んでいる者達は心優しいから敵襲だなんてあるわけもない。だから、村の中で何か起こっているというわけでもなさそうだったが…。 ふと、目の前に見える神の島に気付いた。あそこの空がやけに騒がしい。鳥達が次々と森から飛び出し、島のあちこちから煙があがっている。よくよく耳を澄ませば怒声や悲鳴のようなものが風に乗って微かに聞こえてくる。こんなこと初めてだ。 今あの島で何が起こっているのだろう。知らず、アイサを抱く手に力がこもっていた。 母の昔からの友人で、自分も小さい頃から可愛がって貰っているおばさんに子どもが生まれた時、ラキはまるで自分の妹が産まれたように喜んだものだった。ラキちゃん、見てごらん女の子だよ、アイサっていうんだ。そう言って産まれたばかりのとても小さなアイサを抱かせて貰った時のことははっきり覚えている。これからも忘れないだろう。 今日は、アイサにも”故郷”を見せてあげようと、ここに来たのだった。村の決まりでは緊急の場合以外では子どもは行ってはいけない場所がある。村の外に通じる、雲を切ってつくった階段だ。ここを上って雲のふたを押し上げると、神の島が目前に見える場所に出れる。村の決まりではあるものの、ラキ達は子どもの頃よくここに来ていた。 村の外に通じる唯一の階段を”ひみつのかいだん”と名付けて。 戦士として戦える年齢になった今、ここに訪れたのは今日が初めてだ。アイサは感受性が特別強いのか、大勢が争ったり、誰かが悲しんだりしているとそれにあわせて泣く子だ。アイサが泣き出した理由は、神の島にあるのだろう。 もしかして今日もまた戦士達が神の社を落としに行ったのだろうか。いや、戦士達はつい2、3日前戦いに赴いたばかりで、今日の朝から村はずっと静かで平和だった。 …恐い。感じた事の無い異質な空気に、ラキの体が震えた。恐怖を体が認め、次に理性が認めた時、ラキは首を振ってアイサを抱きなおした。 大丈夫だよアイサ、恐くなんかないよ、何かあってもあたしが守るからね、そう言うと、アイサの泣き声が少し小さくなった気がした。 神の島上部の空は今、誰も見た事の無い黒い雲に覆われ、雷鳴が轟いていた…… 3日かけてこしらえていたアイサにあげる為の人形がやっと出来あがったので、今日の朝はいつもより早く目が覚めた。糸を寄り合わせたりして形を作り、植物の汁で染色した布を切って服にした。女の子の人形だ。早くアイサの喜ぶ顔が見たかった。 テントの前まで来るともう垂れ幕は皮紐で縛ってあげられていて、入り口から顔を覗かせるとおばさんがラキに気付き、ラキちゃんおはよう、と言った。おじさんはまだ寝ているようだった。 おはようおばさん、いつも早いね。アイサいる?と尋ねると、おばさんはアイサ、ラキおねえちゃんだよ、と呼びかけた。テントの奥から走ってアイサが出てきた。ラキおねえちゃん! おはようアイサ。ねえおばさん、もうご飯食べた?遊びに行ってきてもいいかな?と言うとおばさんは笑って頷いた。お昼までには帰ってきてね。そうそう、ラキちゃんアイサったらね、最近ラキちゃんのマネして自分のこと「あたし」って言うんだよ、前までアイサって言ってたのにさ。まだうまく舌が回らないからあたいになるんだけどね。 ラキはアイサの顔を見た。えへへ、とはにかんだように笑っている。ラキも笑い返した。おばさんも笑っている。おばさんは綺麗だ、とラキは思う。アイサも今はまだ小さくて可愛いけれど、大きくなったらおばさんみたいになるのだろう。 アイサの手を引きながら板の道を歩いていると、自分が本当にアイサのお姉ちゃんのような気がしてくる。齢の離れた妹。そう思うと嬉しい気持ちになるので、もうしばらくの間はラキおねえちゃんと呼んで貰うのもいいかと思う。 ラキ、と呼んで貰った方が友達のように親しい感じだからそう呼んで、と以前アイサに言ったのだが、それでもアイサはラキおねえちゃんと呼ぶのが抜けきれないで、ラキ、と小さく呼んだかと思えば恥ずかしがる様に慌ててラキおねえちゃんと言いなおすのだった。 村に伝わる民謡を楽しそうに歌っているアイサに、今日はアイサにあげたいものがあるんだ、と話しかけるとアイサは、ほんと!?何くれるの?と大きな瞳を輝かせた。ちょっと待ってね、あそこについてからだよ。 はやく行こ、アイサはラキの手を引っ張って走り出した。あそこ、というのは”ひみつのかいだん”を通った村の外のあの場所だ。神の島…いやこの国全体の事情が変わってからは、頻繁にあの場所へ行くことはなくなっていた。 階段を上って外に出ると、今日は空が青かった。目が痛くなるほど青かった。村を守るようにして山みたいな形になっている白い雲の間から神の島が見える。ラキは目をそらした。 気付くとアイサがずっと立ちすくんだまま、何者かに視線を固定されているように神の島を見つめていた。どうしたんだい、アイサ。 あのねラキおねえちゃん、あそこ、なんかいるよ。きゅう、じゅう…じゅっこの声がよっつの声においかけられてる。あ、ちがう、よんじゃない、ご、ろく、ろくだ。あ、おいつかれた、きゅうになっちゃった。こわがってるよ。 親指を吸いながらアイサは言った。ラキは聞いた、何がいるのか判る?わかんない、知らない声だもん。 赤ちゃんの頃から不思議な子だとは思っていた。感受性が強いのかと考えていたが、違うようだった。アイサは時々「声」という表現を使うようになった。酋長は精霊達の姿が見えたり、声が聞こえたりするのかもしれないと言う。 大地や動物や物、世界全てに宿る精霊達のことだ。子どもの頃は精霊の姿が見えやすい。そういう人は今までにも時々いたそうだ。ただ、アイサは酋長が言う精霊が見える者が話す特徴とは少し違うようだったが、それでもラキはアイサが羨ましいなと思った。ラキは精霊達の気配を感じた事もなかったから。 アイサ、何がいるか、姿は見える? ううん、見えないよ。声が聞こえてくるの。あ。ぜんぶいなくなった、よっつもどっか行っちゃった。 ラキには判りえないことだったが、アイサの注意を神の島からそらさせた。あそこはもう、1年前の島とは違うのだから…。――新たな”神”がいる。 雲の上にぺたりと二人で座り込んで、ラキは腰に下げていた袋から人形を取り出した。アイサ、見て、おねえちゃんが作ったんだよ、アイサにあげようと思って。 うわあ!アイサは顔をいっぱいにほころばせて喜びの声をあげた。あたいにくれるの、ほんとにほんとにこのコはアイサのなの?ラキはにっこり笑ってそうだよ、と頷いた。 アイサは人形を大事に大事に受け取った。ラキおねえちゃん、ありがとう、あたいうれしい、ありがとう。 アイサが喜んでくれてラキもとても嬉しかった。可愛いアイサ。アイサは絶対に泣かせたくなかった。ぎゅっと抱き着いてきたアイサにキスをして頭を撫でた。 それからアイサは座りなおして向きを変え、ラキに体を預けた。赤ん坊のみたいに体を丸めるようにした。膝にアイサの羽根があたってくすぐったい。風が吹いている。 この場所でラキはアイサに沢山のことを教えてきた。大戦士カルガラの話、死んだあとに魂は旅をして、大いなる自然の手に導かれ再びこの世界に体を持って生まれてくるという話、大地を象徴する色は赤、空気は黒、水は青、火は黄色という話。村の中でもたくさん話はしたが、この場所で二人きりの方が話しやすかった。 幼いアイサにはまだ理解できない事も教えたが、アイサはいつも楽しそうに聞いていた。 そうだアイサ、今日は村に伝わる大切な言葉を教えてあげるよ。 たいせつな言葉?アイサはラキの顔を見上げた。 そう、あたしが言ったらアイサも繰り返してみて。いい? うん、とアイサが頷き、ラキは目をつぶった。歌う様な声を出した。 真意を心に。しんいを心に。 口を閉ざせ。口をとざせ。 我らは歴史を紡ぐ者。われらは歴史をつむぐもの。 アイサは首を傾げた、どういう意味? 今はまだ意味は判らなくていいんだ、大きくなったら酋長か、それかお母さんとかに教えて貰えるよ。村の人で知らない人はいない言葉だから、でもホントはもっと長いんだけどね。 ラキはアイサの腕の下に手をもぐりこませ、ちょうどアイサが人形を抱いているのと同じようにアイサを抱いた。これだけは覚えとくんだよ、アイサ。あたし達シャンディアは誇り高い一族なんだって事を。あ、誇り高いっていうのもアイサにはまだ難しいかな?それからラキは顔を上げて、呟いた。 …シャンドラの、灯をともせ。 それ知ってる!アイサが勢いよく言った。大戦士カルガラがいった言葉でしょ。 そうそう、ワイパーもよく言ってるね。 ワイパーの名前を出すと、アイサの体が強張った。…あたい、あのおにいちゃん恐い。 ぶっきらぼうだが優しいブラハム、とっつきにくくもアイサの事を邪険に扱ったりはしないカマキリ、気さくなゲンボウ、この3人にはアイサもよくなついたが、唯一人彼らのリーダー格であるワイパーにだけは、アイサは決してなつかなかった。 赤ん坊の時からずっとだ。ワイパーが触れようとしただけで火がついたように泣き出していた。今でもワイパーの側には近寄ろうとさえしない。ワイパーの内にある恐ろしい何かをこの子は敏感に感じ取っているのかもしれない。 それはラキにも理解できた。”神”を前にしての体が震えるばかりの憎悪、戦場で戦う彼の姿には鬼気迫るものがあった。鬼気。――鬼。 ”排除するもの”の名を持つ彼はただひたすらに故郷を目指す。誰よりも。故郷奪回の想いはこの村の者達全てに強く強くあることだったが、ワイパーの場合は並外れていた。 ラキは子どもの頃から何となく奇妙に感じていたものだった。自分達子どもに800年前の戦士達の戦いや、400年前この国の住人達に故郷を奪われたこと、故郷を取り戻したい想いを強く教えてきたのは大人達だったのに、その大人よりも子どもであるワイパーの方が”神”達を憎み”故郷”への想いを誰よりも強く募らせるようになった。 ある意味ではワイパーをああしたのは大人達だったのに。大人達は静かに想いを胸の中の深淵に沈ませているのだろう、無念のままに死んでいった者達を見るうちに。何より彼らの肉体は想いに比例できる程、もう若くはなかった。 その想いを受け継ぐのが今の自分達だった。ラキも戦いに出た事はあった、”神”が今の”神”にかわってから2度。神兵、という奴らが出てきて、そいつらは以前の神隊とは比較にならない強さらしくて、ワイパー達も苦戦していた。 多分これからは、ラキも他の戦士達と共に毎回戦いに行くことになる。もうそれくらいの力は身につけていた。 ――アイサは?ふと思った。アイサが自分ぐらいに大きくなってもまだ”故郷”を取り戻せていなかったら、アイサもあの戦場に身を投じなければならなくなるのか。 …ラキおねえちゃん?抱きしめる力が強まり、アイサが不思議そうな顔をした。 アイサの声も耳に届かず、ラキはまたワイパーのことを思った。あの人はどうしてあんなにも戦うのだろう。一種の責任感のようなものを負っているようにも見える。 大戦士カルガラ直系の家に生まれたからなのか。血が彼をそうさせているのか。彼は囚われているのだろうか、ではいつ解放される? ”故郷”を取り戻した時、彼は解放されるのだろうか、痛々しいまでの憎しみから。 ラキおねえちゃん。 いつの間にか、アイサは立ちあがってラキを見つめていた。人形を胸元で強く抱きしめて。…あ、何、アイサ…、言いかけて、アイサが涙を流しているのが判った。アイサ!どうしたの、どこか痛いの!? …おねえちゃん…痛いの… どこ、大丈夫?どこが痛いの? ラキおねえちゃん……痛いの? え?ラキは尋ね返した。アイサはぽろぽろ涙をこぼし、肩を震わせている。 痛いよ、ラキおねえちゃん、痛がってるよ、悲しんでるよ、泣いてるよ、だいじょうぶ? アイサの震えた声を聞いて、自分の声もさっきから震えていたことに今更気付いた。頬がぬれているような気がしたのは自分の涙の所為だということにも。 ――――。 突然ラキはアイサを抱きしめた。何かから守るように。あの日、この場所で誓ったのと同じように。紐で後ろで束ねているだけの長い黒髪が風に吹かれた。 ラキの目から涙が流れなくなるまでの間中、アイサは自身も泣きじゃくりながら、 だいじょうぶ?だいじょうぶ?とずっと繰り返していた。 ☆なじ☆ タイトルは歌から拝借。 何となくラキさん→ワイパーっぽい所もあるようなですがこれ基本的にはラキさんアイサですっつーかラキアイデス。私ハホトホト仲良シニ弱イヨウダ。 〜弁解リスト〜 ・アイサは7、8歳でヨロシコー★ ちょっとでけえかなとも思いましたが1巻のルフィが確か7歳だったんでいいよネと。 母上が保育士なんで赤ちゃんて何歳頃までおしめしてる?とかどんくらいから喋る?だの聞きまくって「何それ」と変に思われました(爆笑) ・精霊だの魂の不滅だの象徴する色だのは完璧にネイティヴ・アメリカンの文化を参考にしておりまふ。精霊云々についての知識はあやふやですが。 ・「”排除するもの”の名を持つ彼」大ウソでーッスV 英語の意味捻じ曲げて解釈してまーっす! 壁紙は夏の空色様よりv 03.7.26 小説TOP |
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