ミュウミュウと鳴く声がすると思ったら黒い子猫だった。 ログが貯まるまでの2日程、いつものように街にあるホテルに泊まることにし、下見に行くとこの島にはホテルが数多くあり、しかもそのどれもがそれなりに洒落ていて、それなりに綺麗だということだった。 だから今回は珍しく各々好きなホテルに泊まろうということになり(たまにはこんなのもありだろ?)、もうおれとリリー以外の奴らは船に残っちゃいなかった(リリーが着替えやなんかの準備に時間をかけていたのだ)。 そしてさあ行こうかと階段を降りている途中、足元から小さな鳴き声が聞こえてきた。 よくよく聴けばそれは猫の鳴き声だという事がすぐに知れた。 「サーキース、ホラここ!見てよ、ちっちゃな猫だわ」 おれより先に船から降りたリリーが階段の下を指差した。 おれもすぐに降りていくと、確かに子猫がうずくまっていた。そしてどう見てもその子猫は弱りきっていた。 「へイ、キティ、ミャーオ。ホーラ恐くない恐くなーい」 おいリリー、服汚れるぜ。子猫を抱き上げたリリーにそう言った。 「大丈夫よ、このコあんまり汚れてないもん」 普段は少しの汚れでギャーギャー言ってんのにな? 「猫はカワイイからいいのよ」 そう言って笑うリリーの方が可愛かったが、口に出さずおれは見ているだけにした。 よく見るとその子猫は両足が思うように動かないようだった。それもあってうずくまっていたのかもしれない。 更によく見れば、子猫は傷だらけだった。それも、同種族による負傷ではなく、明かに人間から受けたものと見える傷。 子猫の背中なんかを撫でてやっていたリリーもすぐに気付いた。 「バッカじゃない。動物を、それもこんな小さなコをいじめるなんてサイテーだわ」 ソイツの毛色の所為だろ、とおれは言った、黒猫は不吉だからな。 「別の地方では黒猫は幸運の象徴よ」 だがこの地方じゃこのうえなく不吉な存在だ。 リリーは頬を膨らませた。 なァ、猫はいいからもう行こうぜ。ここにいるのはおれ達だけだ。 おれは肩をすくめてリリーにソイツを下ろせと手で示した。 「ねえサーキース、あたし船で寝たいんだけど」 言いつつリリーは既に階段を上り始めていた。 リリー、よしてくれよ、他のもう奴らはホテルに行ってるんだぜ、たまの上陸で何で船なんだよ。 「このコの世話するのよ。ううん、そうね、この船で飼いたいわ。猫1匹ぐらい皆許してくれるわよね」 おいリリー…おれ達は優しき海の女神テティス様じゃねェんだぜ…そんな野良猫だか捨て猫だかで、足がイカれてる猫を養う義理なんざないだろうが。 「名前ももう決めた、ティンカーベルよ。あたし船で寝るから。あたしがそうするならあんたもするでしょ?」 おれはまた肩をすくめるしかなかった――実際、リリーの言う通りだったからだ。 リリーの後に続いて階段を上り直し、リリーの部屋に入った。 ティンカーベル、とベッドの上で子猫を撫でているリリーに、でも妖精ってのは金髪って決まってるモンだけどな、と笑って言うと、 「ふっるい、フェア・ファミリーなんて超昔の話じゃない。おれ達はそんなキセイガイネンに囚われない、でしょ?」 とリリーも笑い返してきた。 その通りだ、ま、一般論を述べたんだよ、おれも笑ったまま言った。 実際大昔のオトナ達が妖精の髪の色とみなしたのは、おれのゴールデンと言った方が正しいような深い金髪や、ベラミーみたいに茶髪に近いくるみ色の金髪、殆どクリーム色に近いエディのような薄い金髪ではなく、艶のあるミュレのような金髪だけだったのだろう。 高い位置でシニョンに結い上げられた美しいハニーブロンドは、リリーやマニもよく誉めていた。 で、どうしてティンカーベルだ? 「ホラ昔さ、ママに読んで貰ってた絵本で大好きだったのよね。ネバーランドとか、あたしもオトナになりたくなくて、空を飛んでソコに行きたいなあとか。それでね、ええっと、主人公の男の子の名前は忘れちゃった、でも妖精の事はずっと覚えてたの。だってカワイイじゃない、人間の女の子――こっちも名前忘れちゃったけど――に嫉妬したりしてさ」 ネバーランドに来られたじゃねェか、キャプテン・フックと同じ海賊としてだが。 リリーは大声で笑った。こうなってみると海賊の方が断然良かったわ、と。 おれもリリーの隣に腰掛け、黒猫を眺め、どうせなら白猫の方が綺麗だったのにな、と言うと途端にリリーが凄い勢いでまくし立ててきた。 「あら、サーキース、あんたも差別主義者だったの?7人のドワーフ達の家に迷い込んだスノウ・ホワイトみたいに、雪の様に白い肌が最も美しいだなんて考え方は有色肌の人への差別なんだから。ちょっとどうしたのサーキース、あんたさっきから時代遅れな事ばっか言ってるじゃん」 ああ、いや、勿論マニも美しいさ、悪かった。単に好みの問題を言ったんだよ、その場しのぎの謝罪ではなくおれは心底謝った。リリーの言う通りだ、今日のおれは何を言ってるんだか。 例えば白い肌の人間が一番美しいだなんていう考え方は、血液型4種のうちAB型の人間が最も優れているのです、という事のようにちっぽけで馬鹿馬鹿しいもので、おれはそんな事を抜かしているオトナ達みたいにはなりたくなく彼らを心から軽蔑していたし、ロスは憎んでさえいた。 肌の色や血筋で優劣など決して決められない事を子どもはちゃんと知っている。大人にそういう考えを植えつけられさえしなければ。 「そうよ、マニはとっても綺麗だわ」 リリーは満足げに頷いた。 「そういう事あたしやミュレの前で言わないようにね、特にリヴァーズなんかには」 おれはリリーに言われてキッチンに行ってミルクを小皿に入れてきた。誰もミルクなんか飲まないが、調理用にヒューイットが買ってあったのだ。 しかし子猫が子猫を飼うとはな。 「ハ?何ソレ」 お前子猫みたいだぜ、おれはそう思ってる。それも普通の子猫じゃなくて、抱き上げようとしたら引っ掻いてきて小さな体で暴れる可愛い子猫さ。 「超サプライズ。何あんたそんな事思ってたの?」 お前が手を丸めて顔をこすってる時なんかは特にな、おれが言うと、ウソアレ見られてた?とリリーは慌てた。 元気で気まぐれで、本心をなかなか見せず、おれの心を掻き回す子猫をおれは愛していた。 「じゃああんたは何かしらね、サーキース?うーん、犬?」 おいおいおれはお前とキャットアンドドッグの仲なんざ願い下げだぜ、と大真面目に言った。 随分長いこと悩んでから、「えー?じゃあ、狼かな?」 とリリーは口を開いた。 狼か、悪かないな。そうだ、リヴァーズのヤツにはライオンだって言われたぜ。 「ライオン?何で?」 髪、とおれは自分の頭を指差した。初めて見た時ライオンみたいだって思ったんだとよ。 それを聞いてリリーは大笑いした。 「アハハハ!あんたは外見だけのライオンって事なのね!つまり、あんたの中身が権力や威厳の象徴ってワケじゃなくて」 それからリリーは付け足した、「それともリヴァーズは危険や悪の象徴って言いたかったのかしら」 そんな深い意味ないと思うぜ、あいつバカだから、とおれは首を振って答えた。 事実そうだと思う。しかし、おれがビッグナイフと呼んでいる相棒の正式名称がクックリだという事をあいつが知っていておれが知らなかったという事も考えると、何となく腹が立ってきた。 おれは立ちあがってベッドの横のテーブルにサングラスを置き、扉を開けておれ風呂入ってくるから、と告げた。 ティンク、とリリーが抱きしめて名を呼ぶと、子猫はミャーオと鳴いた。 次の朝珍しくおれが自主的に目を覚ますと、おれの腕の中で寝ていたはずのリリーがいない事に気付いて大慌てで起きあがった。 寝起きにリリーの顔を拝めないなんて目を覚ました意味が無い。 扉が開いていたので部屋の外にいるのだろうと思った。床に落ちていたノースリーブのシャツを着て廊下に出て初めて、今日は雨が降っているのだと知った。 リリー、リリー? 手すりの側を歩いて何気なく下を覗きこむと、船の外にリリーが薄着で立っているのが見えた。 階段は出していない。飛び降りたのだろう。おれも手すりに足をかけ、地面に飛び降りた。水飛沫が跳ねて顔に散った。 雨にぬれたリリーが痛ましく見えて、リリー、と強い口調で呼んだ。 肩越しに小さな黒いものが地面に横たわっているのが見えた。リリーが口を開かなくても判った。 「猫には九つの命があるのにね」 消えそうに小さいリリーの声はおれの胸に鋭く刺さった。 元々弱ってたから、とかお前の所為じゃないさ、とか古くてダサくてうわべだけの薄っぺらな言葉がいくつも浮かんできた。 で、おれはその中で最も陳腐で、おれ達が酷くバカにしている考え方からくる言葉を声に出した。 今まで8つの命を使って、これが最後の命だったんだ。 吐き気がした。この言葉に込めている気持ちは真実なのに。 リリーはおれに背を向けたまま、小さく頷いた。 そしておれは壊れそうに小さく見えるリリーの体を抱きしめ、左手をリリーの美しい両の瞳のあたりに当てた。 びしょびしょの前髪も手に触れた。 リリーもおれも、子猫が1匹死んだだけで涙を流せる程もう小さくはなかった。 だけどおれは涙が零れ落ちてしまわないようにリリーの瞳を覆っていた。 もしも天国と来世があるのなら、愛される子になってね、と少女は呟いた。 船着場のすぐ側の森に花が添えられた土山がある島から船が離れても、おれもリリーももう猫の事は2度と口にしなかった。 生き物の命はひとつだけで、フェアリーテイルはとっくの昔に滅びた事を知っていながら。 |
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