ルッチは指令室のドアノブにかけていた手をふと止めた。
部屋の中から何かが壊される音がして、喉から搾り出されるような呻き声、何かを激しく罵る声も聞こえた。 大きな音と怒号に萎縮して、ぐるぐると啼くハットリに、ルッチは口元に人差し指をあてるポーズをしてみせた。
今回は周期が短いな、と思った。こないだ"コレ"があったのは、ほんの2週間前ではなかったか?
音はまだ続いている。罵声。どうする?ルッチは少しだけ考えた。"コレ"の時の長官は、名状し難いぐらい機嫌が悪く、目に付いたものは殆ど何でも壊すかその寸前までにしてしまうので、落ち着くまでは近寄らないのが得策だったが、任務報告は少しでも早い方がいいだろう。ふう、と肩をすくめて扉をノックした。恐らく先程のは聞こえていなかっただろうから。
「失礼します、長官」
指令室の中は酷い有様だった、扉の外でも聞こえてきた音で解る様に。椅子や置物、壁にかけられていた絵画等の哀れな姿が床のあちこちに転がっている(後ほどまた片付けに来なければ)――この惨状の中でも机上にある重要書類は無事なのが流石といえば流石だったが――。薄暗いこの部屋の中央辺りに長官が座っていた。荒い呼吸を繰り返し、俯いた頭を両手で覆っている。
「ルッチか…何だ」
「任務遂行の報告に参りました」 と言って、ルッチは足元に目を落とした。 「鎮痛剤は効きませんか、長官」
「判るだろうが、効いてねェからおれはいつも苦しんでんだ」
「そうですね、失礼しました」
「任務完了したんだったな…報告しろ」
「本日22時、期日内に任務遂行しました、何の問題もありません。詳細は提出書類に記しています」
「あァ」 返事なのかそれとも漏れてしまった溜息なのか、一瞬どちらとも判別しかねる声を出した。もう一度、今度ははっきりそれと判る苦悶の声を彼は出した。 「チクショウが…あの野郎、クソッ、クソッ、クソッ!痛ェんだよっ!」
ルッチは口を噤んだ。長官がよしと言うまで黙っておくのがいい。
3年ほど前だったか、長官がまだCP5に在籍していた頃、取り押さえた犯罪者が逆上し負わされたという顔の傷は、数年経った今でも彼を悩ませている。 定期的に疼く顔の傷は、彼と彼の周囲の人間達を少なからず煩わせた。
ルッチ達も"コレ"には少々辟易がちであったものの、コレと生まれ持っての不運な星回りの所為で時々しでかしてしまう粗相を勘定にいれたとしても、それを補えるほど仕事面においては彼は優秀だった。良くも悪くも――彼は頭がいい。
暫くして、彼はゆっくりと顔を上げた。 「続けろ」
ルッチは頷いた。 「書類にもありますが――特記事項としましては――任務中に公務執行を妨害する"市民”がいましたので」 ルッチは淡々と言葉を続けた。 「"特別権利"を行使しました」
それの意味する事は二人とも充分に理解していたので、長官も軽く頷いただけだった。
そして全く何の重要性も持っていないような声音で、ルッチが充分理解しているという事を彼自身も知っているという声音で、彼は言った。 「迷うなよ。お前達がしているのは正しい事なんだ。正義が成される為には犠牲はつき物で、何かを失わずに何かを得る事なんざできねェんだからな」 彼は言った、「それでいい。1を犠牲とし100を救え」
「政府内にすら未だに反対の意を唱える者達がいるというのに、民間人が私達の存在を知れば何と言うでしょうね」
「フン、さあな。奴らはどうしようもねェ理想主義者なのさ。この時代にそんな事を言っていてどうなる?」
実際、CP9――9番目の正義の実行者たる彼らの機関が創設される際、その"特権"については政府内で長期に渡り話し合いが繰り返された。何を甘い事を。ルッチもそう思う。か弱き民衆達の中にとて、"正義”に反する者達は幾らでもいるのだ。より大きな存在を救う為ならば、彼らを殺す事も止むを得ないではないか?
「なあ、ルッチ、誰もやらねェのなら、誰かが思い上がる事だって必要なのさ、そしてどうせやるなら徹底的に、だ。どいつもこいつも中途半端でいけねェ。クレイジーなまでに完璧な正義、だ。おれが言うまで誰一人しようとしなかった――半端なバカ共だ」
彼が机の上にある書類をめくり始めたので、ルッチもそちらに眼をやった。
「こないだの――新しい任務の概要書類には目を通したか」
「ええ」 ルッチは注意深く頷いた。
「長期任務になるからな。細かい事は明日指示を与える」 やっと目当ての紙束を捜し当て、彼は軽く紙面を叩いた。 「ルッチ、なあ、おかしなものだよなあ。兵器の癖に"コイツ"は何故神の名を冠しているのだか」 答えを求める言葉ではなかったので、ルッチは黙ったままでいた。長官は笑った。 「いや…だからこそ、か?世界の3分の1を支配する神の名を――コイツは持つ事が許される」
こういう事だ、と彼は言った。 「やるのなら神さえもおれ達のものにするのさ。このくらいしねェと、世界はなんにも変わらねェんだから」
また傷が痛み出したのか、彼はマスクの上から右頬に手を当てた。数年の間に習慣のようになったその行為は、彼自身も無意識にやる場合が多いようだった。 愛しいものにでも触れているかのように、静かに静かに頬を触っている。それをルッチは見詰めていた。
「設計図か。という事はおれ達は、神を創り出す事になるな」
「構わないでしょう」 と、ルッチは答えた。 「いつだって人間は神を作るものです」
「そうだな。まだ言葉も持っていない頃からな」 莫迦にした様に彼も言った。
「長官、先程の話に戻りますが」 彼はルッチと視線を合わせた。ルッチは続けた。 「我々の"特権"について反対する者達についてどうお思いですか。役人・民間人の区別なく、ですが。いつもその者達は言います、どんな理由であろうとも命を殺める事は赦されない、例え正義の名の下であろうとも。それは悪魔の所業である、と」
彼は心底うんざりした顔を見せた。もう何度もそういう反対意見と戦ってきたのだろう。
彼は長い長い溜息をついた。体中の息を全て吐ききってしまうつもりかと思える程に長く深い溜息だった。 それからの沈黙があまり長かったので、ルッチはきっと長官は答えないのだろうと思った。
「なあルッチ、おれはいつも思うんだがな」 だが、遂に彼は言った。 「そういう奴ら――漠然とながらも対象を明確にする為に「彼ら」と言おうか――彼らは本気で言ってやがるんだろうか?つまり人を殺すという行為は、"悪"しかしないって事を?"正義"は何があろうとも絶対にそんな事をする訳がないって事を、だ。おれにはふざけてるんだとしか思えねェんだが」




長く暗い廊下に出た。自分達のいる所は、例えこの廊下の様に闇くとも、それが"正義"でないとは限らないのだ。正しくないものだけが闇にいる訳では決してない。 自分達の存在が異端であろうとも迷いは無い。長官の言う"彼ら"も、いずれ己の愚かさに気付くだろう。
ルッチは目を閉じた。真っ暗だ。ルッチは目を開けた。暗かった。
変わらない。
ルッチは微かに笑った。何も変わらなかったので、ルッチは安心して歩き出していった。








☆なじ☆
スンマセン。
いやとにかく何かスパンダムの話が書きたくて書きたくて…
ろくに登場もせず設定もないのに妄想って怖いネ☆
本誌で設定が出てきて物凄く間違った所があってもスルーして下さい(恒例科白)
しかし長官が散らかしたモンをルッチさん達が片付けなきゃいけないって
本当に迷惑ですねこの長官。
あとタイトルの「ヘレティック」はスパンダムの事です。

05.3.28


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