広場に集まった人々を見回す彼の眼は、不機嫌そのものだったのだ。
人々の中心で車座になった十数人の者達が演奏する笛や竪琴の音が美しく鳴り響く。この国の住人全てを収容出来るほどに大きなこの広場のぐるりを囲んでいるのは灯された篝火だ。
広場を見渡せる高き場所に作られている玉座に身をうずめた彼は、厳かな面持ちで祭司長が述べる型通りの挨拶に聴き入っている人々に一瞥をくれて欠伸をした。
祭司長の言葉が終わりに近付いて来た頃、傍らに付き添っていた年配の侍女長が、こそりと話しかけてきた。
「エネル様…そろそろご祝詞のご用意を」
侍女長の方を見もせずに、彼はぼりぼりと頭を掻いた。腕や頭につけた煌びやかな装飾品がじゃらじゃらと揺れる。
「それなんだがなあ…たまには私からの言葉はなくとも良いだろう?」
言われて侍女長は一瞬戸惑った表情を見せたがすぐに、「――なりません、聖なるこのラカ祭に、どうしても貴方様のお言葉は必要です」
「そうは言うが、お前、私――ああそれと祭司長も――の身にもなってみろ、毎月これを言うのだぞ、毎月だ。おまけにこの面倒な服や飾りを身につけて――どうせ言う事は昔から変わりないのだ、民衆だって改めて聞く必要はないじゃあないか」
「けれど…伝統ですので」
一体いつの時代から始められたのであろう、この祭りは。そんな疑問も浮かばぬほどに、この祭りはこの島の人々にとって当然で、眩暈のするような遥か昔から続けられていた。
毎月の丁度半ば、このラカ祭は行われる。それは彼らが神の在るべき場所とするあの大地が、最も美しく眩く限りなくなる日で――、だからこそ彼らは神がその大地を自分達の目にも示して下さる事に感謝し、祭りを開くのであった。
「伝統、なあ…。」本当に面倒くさそうな様子で溜息混じりに呟く彼に、侍女長は見ていて痛々しくなる程までに頭を深く深く下げ、「どうぞ、お願い致します。エネル様のお言葉がなくてはラカ祭を始める事など出来ません。どうか、ご祝詞を…」
そんな侍女長に、彼は呆れた様に手をひらひらとさせ、「あ〜〜分かった分かった、やればよいのだろういつも通りに。」と、ついに彼女の言葉を承諾したのであった。
ただただ静かに祭りの始まりを待っていた人々は、玉座からおもむろに立ち上がる彼に、より一層態度を静粛にした。冷たいほどに静かな広場で、彼は自分を見上げる眼下の人々に一瞬蔑む様な眼差しを向け、それからゆっくりと口を開いた。
「――神の大地が最も美しく眩く限りない今宵、その姿を現して下さいました事を、高く限りない大地にいます神に、我等は感謝致します。その恵みの光を受けて、遥かの昔からの我等の神に、共に祈りを捧げよう。神の大地が永遠であるように――」
「アトー、ギボール、ル・オラーム、アドナイ」
静寂の中に、その言葉だけが何か恐ろしい力を持った生き物のような強さで響き渡った。
暫くの間、人々は目を閉じて天上の大地に祈りを捧げた。――彼だけを除いて。
勿論他の誰も知りはしないが、いつもそうであった。彼はただ軽く眼を瞑るだけで、”神”にも大地にも祈りを捧げた事など一度たりとてありはしない。今日もまた、然りである。
――”神”ならここにいるじゃあないか…
眼下にいるこの国の人々は、皆、遠く高い彼の地にいる”神”に祈りを捧げている。”神”は、今、ここにいるというのに。
ラカ祭の他に、限りない大地にまつわる古くからの慣わしは他にもある。今日のように最も大地が限りなくなる日とは反対に、毎月のちょうど初めの頃、あの輝く大地が空から全く姿を消し去ってしまう日がくるのだ。 いつも我々を見守り加護して下さっている神の姿がなく災いが起こると、その日の夜は国中の人間全てが外出を禁じられている――また、わざわざ禁じられなくとも、子どもを含めただの一人も外に出たりはしないのだった。
それについても彼の機嫌は悪くなる。神の大地が見えずとも、加護なら自分がしてくれよう。
それに。
それに、あの世界は私だけのものなのだ。
祈りの時間が終わったようで、また笛の音色や歌声が聞こえてきた。あとはこれまたいつもの通り、用意されている料理を皆で食べて祭りはお終いとなる。人々が談笑する声も微かに聞こえてきた。 彼はもうこのまま眠ってしまおうと、目を瞑ったままごろりと姿勢を崩して横になった。
こんな態度だと後々ヤマの奴が煩いが、どうでもいい。聞こえてくる音楽を子守唄に、彼はぐっすりと眠りに就いた。



夜空を見上げる彼の表情は、心なしか機嫌が良くない様であり、ともすれば悲しそうでもあった。
その視線はかの、限りない大地のみに向けられている。今宵の大地は完全ではなかった。つまり、相変わらずその目映い姿は美しいのだけれども、欠けていた。まるで割れて破片を失ってしまった鏡の様である。それこそが彼の心中を曇らせている原因であった。
どうしてあの世界は常に最も限りない状態でないのだろうといつも思う。そんなものを日常で感じる事などないに等しい彼が唯一残念に思うのは、あの果てしない神の世界は美しい真円の姿であるのが常ではない・という事であった。彼が最も好きなのは、その真円の世界であったから。
創世記で、神が六日六晩かけて世界を創ったのちに一日休息をとられた様に、あの神の世界も一日だけはその姿を現さない事があるのだとこの国の伝承は言う。大地の形が常に一定の時間をかけて一定の変化をとげるその理由を、人々は知らない。神の世界で起こる事象の全てを知り得るなど、自分達人間には到底不可能な事であるのだと、この国は言う。
ラカ祭から幾日か過ぎた。
空が更に近い所に彼はいて、欠けた大地を眺めていた。神殿の屋根に当たる場の四方を囲んで造られた手摺に腰掛け、肌にあたる風の冷たさも感じず、彼はとても寂しそうに手の中の丸い紅玉色の果実を弄んだ。その果実をがりりと一口齧ると、今夜の空に浮かぶ大地のような形になった。
暫らくぼんやりとしていた。
「――サラか」、ぽつりと静かに言った。
きゃっ、と背後でびくりと声をあげる者があった。声をかけられた者はそれからおずおずと歩を進め、彼の腰掛けているすぐ後ろに来て止まった。
「も、申し訳ありません、エネル様、お声をおかけしようと思ったのですが…」
彼女は侍女の一人で、からかった時の反応が面白く、彼に何かと遊ばれる事の多い性格を持っていた。その名と同じ花の様に、儚げにも見て取れる可憐な容姿の侍女だ。
「ああ、いいさ、どうせ”声”は聞こえていたし」 と、彼は手のひらの林檎をぽぅんと何度か放り投げるのを繰り返し、それからほんの僅か眉をしかめて首を振った、「全く、厭な時は本当に厭になる能力だな、こちらが静かにしていたい時でも、聴きたくない時でも、お構いなしに聞こえてくるのだから」。
彼の言葉を聞いて侍女は本当に申し訳なさそうに泣きそうな顔になり――別に彼女の所為ではないのに、まだ少女の面影を残すこの侍女は、どこまでも心優しかったのだ――、一度しゅんと顔を下に向けてから、何か訊きたげに顔を上げた。
「あの、エネル様、そのお力は、ご生来のものなのですか…?」おどおどと遠慮がちに訊ねる侍女に、彼もふっと表情を和らげた。
「生まれつきといえば生まれつきだが…ここまで聴こえるようになれるのは、ごく一部の修行者のみさ――会話まで聴こえるのは私だけだがな。だから、まあ、そうなりたいと望めば…修行をすれば、お前でも”声”が聴こえるようになるんだぞ。”心綱”の元となる力は生まれた時から誰でも持っているのだからな」
「わたくしでも、”声”が聴こえるように…?」侍女は円らな瞳を更に大きくさせた。心底から驚いているかのようなその表情が何とも可愛らしく感じられる。彼は目を細めてまた言った。
「ああでも…お前には必要のない…いやお前にはない方が良いのだこんな能力…」
優しい優しい侍女。優しすぎる彼女は、例えばその能力を手にしても、きっといつかその恐ろしさに耐えられなくなってしまう。自分は消えてゆく”声”など寧ろ笑って聴ける人間であるのだが、彼女はそうではないのだ…
彼の言葉の真意を掴みかね、侍女は目をぱちぱちとさせて口をつぐんだ。
「そういえば…お前私に何か用か?」
「あっ、いえ…、あの、エネル様のお姿が見当たらなかったのでどちらにいらっしゃるのかと思いまして。…」
白い頬に淡い紅を散らして言う侍女に、そうか・と彼は何やら楽しそうに笑った。
「…何をしていらっしゃったのか、お聞きしても宜しいでしょうか」
彼は手の中の林檎をまた齧った。少しの間、それを噛み砕く音が響き、それを呑み込む音がした後、「――あの大地を見ていたのさ」彼は林檎をおさめたままの手で夜に浮かぶ神の世界を指した。その手の示す世界を、侍女も眩しさに目を細めて見た。
「エネル様は、フェアリーヴァースがお好きでいらっしゃいますよね」美しい小さな花の様だと思わせる笑顔をこぼして、純粋に言う。
「好き?…フフ、好き・か…、…そうだな…私はあの世界が好きなのかもしれないな」
この国で生きる人々にとって、あの神の世界は神聖で、崇高で、畏敬の念を持って崇める対象に他ならず、そこに他の感情は存在しないのだろう。あの世界にこんな感情を抱いているのは、自分だけかもしれない、と彼は思った。
けれど、あんなにも美しい世界をどうして愛さずにおれようか?
彼は、すっと左手を高くかざした。指の隙間から、神の世界からの加護の光が漏れる。彼はいとおしげにその光を受け止める。
――あの世界は、こうして手を伸ばすだけで、手に入るのだろう?
だって、ただこうしているだけでも、既にかの世界が放つ光はこの身に注がれ、確かにそれは彼のものになっているのだから。
生まれてからたった今まで、彼が望んで彼の手に入らなかったものなど何一つなかった、なにひとつ。空に浮かぶ雲の数ほど求めたものの中で、心から欲しかったものは数少ないが、それでもあの世界よりも欲しいものなど何もない。
「なあ、サラ、幼い頃に聞かされたろう、自身の生まれ育った世界全てを洗い流されたノアは、どうやって新たな世界へと行ったのだったかな?」
急に問われた侍女は、少しの間口ごもったが、すぐに答えた。
「方舟、で。方舟を造り、新たな世界へ辿りつきました」
「ヤハハ、その通り」
そうだ、新しい世界へ行くのには方舟が必要なのだ、神の世界へ行くのにも。私もノアに倣おうじゃあないか…私のは空を走る方舟だがね。
「サラ、私はいつかあの夢の世界へ行くのだよ」











それはまだ、誰もあの天体に行った事がない頃の、ひとつの神話。













*えり*
なじ、えりの順番で、約10行ずつのリレーでした*
ええとでは、いくつかご説明を〜。
「ラカ」というのは梵語で「満月」という意味です。
で、ラカ祭の時に皆で言う謎の呪文ですが、あれはヘブライ語で「貴方は永遠に強大です、主よ」という意味です。
自分たちでも全然アレ覚えてなくて(今も覚えてません)、「呪文」とか「ル、何とか」とか言ってました。
あ、あと侍女さんの名前は相変わらず捏造ぶっちぎりばっひゅーんです。

☆なじ☆
マジ話のリレーは初めてやったんでよい経験になりました☆
相変わらず話の大まかな流れすら決めないでのリレーだったので話の筋がおかしいかもしれまてん。
ラカ祭やら何やらのアレは本誌でフェアリーヴァースが月だったと判った日から、私達で議論をしまくった末の捏造設定でス☆
あといくらなんでも1ヶ月に1回合計1年で12回祭り開くってやりすぎか?と途中話題になったのですが、
「ビルカの人達にとったらそれだけ神聖な存在ってことDE!」という事に落ち着きマシラ。
つーか1ヶ月に1回あんなワケ判らん長ったらしい言葉言うっつったら私でも嫌だと思いましタV




03.12.13


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